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令和の意味や本当の理由!なぜ?由来についても!

新元号が発表されるということで、令和の意味や本当の理由が気になりますよね。

そこで、隠された本当の理由について迫ってみました。

なぜこの名前になったのか、由来についてもみていきたいと思います。

また、コメントや世間の反応も一緒に見ていきましょう。

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新元号発表!

発表は4月1日11次30分ということです。

ですが、予定時刻を過ぎており、32分を経過しています。

世間では期待の声と待ち遠しい声がたくさんツイッターに出ています。

エイプリルフールということで、何かこの発表には裏があるのではないかという人もたくさんいるようです。

以前は平成の文字はダイゴさんに渡っていますが、今回は安倍さんが持ち帰るのでしょうか。

平成は今上天皇の譲位により2019年(平成31年)4月30日をもって終了し、皇太子徳仁親王が即位する2019年5月1日から令和元年となる予定。

日本の憲政史上では初の譲位による改元となる。

西暦2019年(本年)は、4月30日までが平成31年で5月1日から令和元年になる予定で、2つの元号に跨る年となる。

新元号の意味は?

一人ひとりの日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができるそうした日本でありたい。いい言葉だと思います!

菅官房長官より安部総理から直々に令和の意味の発表はあるとのことでした。

いつ発表されるかは明確な時間帯については発表されませんでした。

今後とのことですので意味が発表され次第ここに追記していきたいと思います。

追記

ライブで安部総理が発表した意味は、国民のみんなが明日へ希望や幸福を持って過ごして欲しいという思いからこの令和になりました。

美しく心を寄せ合う”

“希望に満ち溢れた時代

一人ひとりの日本人が明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができるそうした日本でありたい。

そんな時代になって欲しいとのことです。

いい言葉ですね!

梅は春の訪れを表す花です。

この元号発表も新しく春が始まるのと同時に国民の人たちも新しい令和の発表で新しい時代に向けて頑張って欲しいという意味が込められています。

新元号の由来本当の理由は?

令和響きがいいですね!可愛らしさがなんかいい気がします。

結論から申しますと、万葉集から引用したとの発表がありました。

和歌の初旬の梅から決めたとのことです。

万葉集の梅花の歌「時に初春の令月、気淑く風和ぐ。」から取ったものである。

これは万葉集の32種の序文からとったものです。

中国の文書ではなく、日本の文書から選ばれました。

以前までは中国の文書から判断していましたが、今回は万葉集という日本の文書から考えたということですね。

梅は意味でも述べましたが、春の訪れを表す花です。新しい時代と春を掛け合わせて、梅の歌が歌われている万葉集から選んだということですね。

以下に万葉集の梅についた記事がありましたので紹介しておきます。

梢に高く咲く花のうちで万葉の人々がもっとも愛したのは梅だったようだ。

というのも、万葉集には梅を歌った歌が百二十首も載せられており、これは花を歌った歌としては萩についで多い。

桜を歌った歌は四十首ばかりだから、それと比べても、いかに梅が愛されていたか推測される。何故万葉の人がかくも梅を愛したか。

民俗史的な関心を引くところだが、考えられるのは、梅が春の訪れを真っ先に知らせる花だということ、そして梅の花から漂い来る香が、万葉の人々に訴えたのだろうということだ。日本人は古代から、香に敏感な民族だ。

梅を歌った百二十首の歌のうち、三十首あまりが、巻五の中で梅花の歌三十二首として収められている。

これは天平二年の正月に、大宰府の大伴旅人の邸宅で開かれた新年の宴で、出席していた三十二人の客がそれぞれ梅を歌に詠んだものだ。

当時の人々の梅についての感受性が伺われるものとして、民族史的にも興味深いものである。その歌のなかでひときわ目を引くのは、山上憶良の次の歌だ。

  春さればまづ咲くやどの梅の花独り見つつや春日暮らさむ(818)

これは、春がくると真っ先に咲くのが梅の花だと歌っており、梅が春の到来を知らせるメッセンジャーのようなものとの意識があったことを思わせる歌だ。

なお、この歌は、折角咲いた梅の花を一人で見るのは味気ないと歌っているわけだが、それは、妻を失って間もない旅人への、憶良の気遣いが込められているのだろうと解釈される。

主人の旅人は次の歌を詠んだ。

  我が園に梅の花散るひさかたの天より雪の流れ来るかも(822)

我が園に梅の花が散りしきっているが、それは空から雪が降ってきたのだろうか、といって、梅の花の散るさまを雪の降るのに喩えている。

梅は春を告げる花ではあるが、新暦では一月中から咲く。

それは旧暦ではまだ冬の間のことであるし、そんなことから梅と雪が自然に結びついたという背景がこの歌には働いているのだと思う。

この宴は、新年に開かれたわけだが、旧暦の正月には雪が降ることも多くあったに違いない。そんなわけで、梅の歌を冬の雑部に載せているものもある。

次の歌はその一例、巻八冬の雑歌に収められた梅の歌である。

  引き攀じて折らば散るべみ梅の花袖に扱入れつ染まば染むとも(1644)

枝を引きよじって花をとろうとすると散ってしまうだろうから、花をこきむしって袖の中に入れよう。袖が花にしみても気にはしない、と歌ったものだ。

これは、梅の花の形を愛でるのではなく、その香を楽しんだのだろうと思われる。染むとは、色が染みるというより、香りが染みるということではないか。

大伴旅人は、個人的にも梅が好きで、都の自分の屋敷の庭にも梅の木を植えていた。その梅を詠んだ歌がある。

  吾妹子が植ゑし梅の木見るごとに心むせつつ涙し流る(453)

これは大宰府勤務を終えて故郷に帰って来たときの歌である。大宰府に発つ前に、妻と一緒に植えた梅の木を、今は自分ひとりで見る。

すると妻が恋しくなって、涙が流れるのだと、男泣きをしているさまを歌ったものである。死んだ妻が恋しくて涙が流れるというのは、いかにも優男を思わせる。

こういう歌は、万葉の時代以降には見られなくなったもので、万葉の時代の日本人の素直な心ばえを感じさせる。もっとも、大伴旅人という人の個性もあるのだろうが。

梅の木を自分の手で植えて、やっと咲いた花を愛でる歌もある。中納言阿倍広庭卿の次の歌だ。

  去年の春い掘じて植ゑし我がやどの若木の梅は花咲きにけり(1433)

昨年の春、掘り起こして植えた我が家の梅の若木がやっと花を咲かせたよ、と歌ったものだ。い掘じてのいは接頭語。

い掘じてで掘り起こしてという意味。

庭を掘り起こして植えたとも、野原を掘り起こし移し植えたとも読める。大伴旅人に限らず、樹木を自分の屋敷の庭に植えて楽しむ造園趣味が、この時代に普及したいたことを思わせる。

万葉の時代には、梅の花を酒盃に浮かべる風習があったようだ。大伴坂上郎女の次の歌が、そんな風習の趣を感じさせてくれる。

  酒杯に梅の花浮かべ思ふどち飲みての後は散りぬともよし(1656)

梅の花を杯に浮かべて皆で飲もう、飲んだ後なら花が散ってもよい、と言う趣旨だ。

杯に菊の花を浮かべるのは中国の重陽の節句の風習だが、梅の花を浮かべることにはどんな背景があるのか。

梅の花ではなく実を歌っためずらしい歌もある。

  妹が家に咲きたる花の梅の花実にしなりなばかもかくもせむ(399)

あなたの家に咲いている梅の花が実を結んだときには是非思いを遂げてみたいものです、という歌だが、ここでの思いを遂げるとは、相手と結ばれることのようだ。

実を結ぶを、人と人とが結ばれることと解したわけであろう。歌手は藤原八束。

参考元ーhttps://manyo.hix05.com

これは万葉集の梅の歌に関する記事です。

参考にしてください。

以下は万葉集の32種の序文です。

梅花謌卅二首并序

天平二年正月十三日、萃于帥老之宅、申宴會也。于時、初春令月、氣淑風和。梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。加以、曙嶺移雲、松掛羅而傾盖、夕岫結霧、鳥封穀而迷林。庭舞新蝶、空歸故鴈。於是盖天坐地、促膝飛觴。忘言一室之裏、開衿煙霞之外、淡然自放、快然自足。若非翰苑、何以濾情。詩紀落梅之篇。古今夫何異矣。宜賦園梅聊成短詠。

梅の花の歌32首、並びに、序

天平2年1月13日、帥(かみ)の老(おきな)の宅(いへ)に萃(つど)ひて、宴会を申(の)ぶ。時に初春の令月、気淑く風和(な)ぐ。

梅は鏡前の粉を披(ひら)き、蘭は珮後の香を薫らす。加以(しかのみにあらず)、曙は嶺に雲を移し、松は羅(うすきぬ)を掛けて盖(きぬかさ)を傾け、夕岫(せきしふ)に霧を結び、鳥はうすものに封(こも)りて林に迷ふ。庭には舞ふ新蝶あり、空には帰る故雁あり。是に天を盖にし地を坐(しきゐ)にして、膝を促して觴(さかづき)を飛ばし、言を一室の裏(うち)に忘れ、衿を煙霞の外に開き、淡然として自放に、快然として自ら足れり。

若し翰苑にあらずは、何を以てか情(こころ)をのベむ。請ひて落梅の篇を紀(しる)さむと。

古今それ何ぞ異ならむ。園梅を賦し、聊か短詠(みじかうた)を成(よ)むベし。

天平2年1月13日に、大宰の帥の旅人の邸宅に集まって、宴会を開いた。時期は、初春のよき月夜で、空気は澄んで風は和ぎ、梅は美女が鏡の前で白粉で装うように花を開き、梅の香りは身を飾った衣に香を薫ませたような匂いを漂わせている。

それだけでなく、曙に染まる嶺に雲が移り行き、松はその枝に羅を掛け、またその枝葉を笠のように傾け、夕べの谷あいには霧が立ち込め、鳥は薄霧に遮られて林の中で迷い鳴く。庭には新蝶が舞ひ、空には故鴈が北に帰る。

ここに、天を立派な覆いとし大地を座敷とし、お互いの膝を近づけ酒を酌み交わす。心を通わせて、他人行儀の声を掛け合う言葉を部屋の片隅に忘れ、正しく整えた衿を大自然に向かってくつろげて広げる。

淡々と心の趣くままに振る舞い、快くおのおのが満ち足りている。これを書に表すことが出来ないのなら、どのようにこの感情を表すことが出来るだろう。漢詩に落梅の詩篇がある。感情を表すのに漢詩が作られた昔と和歌の今とで何が違うだろう。

よろしく庭の梅を詠んで、いささかの大和歌を作ろうではないか。

参考元ーhttps://note.mu/ryouko/n/n77c802037d64

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令和なぜ万葉集?

万葉集は様々な人の文化が入り歌われています。

そうしたところから、万葉集を出典の元にしたと思われます。

安部総理もこの様々な人歌っている点について述べていました。

分け隔てなく、歌を歌っている万葉集はまさに新元号の由来にぴったりかもしれないですね。

新元号に対する世間の声と反応

新元号のまとめ

今回は新元号の理由と由来意味などについてみていきました。

誰も予想がされていない人で以外など思ったことでしょう。

なぜか新しい元号になるとワクワクしてしまいますね。

新元号が始まった今、何か新しいことに打ち込んでいくのもいいかもしれないですね。

今回はこれで以上です。

何か分かり次第追記していきたいと思います。

皆さんも新元号について何か思うことがあればコメントしてくださいね。

以下のコメント欄で待っています。

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