土曜プレミアムで放送されるオーストリア少女監禁事件はオーストリアのウィーンで起こりました。
オーストリア監禁事件のその後やナターシャカンプシュは今現在どうしているのか。
その後どうなったのか、内容を追っていくとともに、犯人についても迫っていく。
放送を先取りしたいあなたに要約もざっとします!
オーストリア少女監禁事件の要約
1998年3月に行方不明とされていた当時10歳の少女ナターシャカンプシュが2006年8月23日、ウィーン近辺で警察に身柄を保護された事件。
その期間はなんと、3096日。
8年間監禁されていた。
ナターシャはまず、犯人のマイクロバスに引き込まれる。
これを見た12歳の目撃者が警察に通報。
警察は大掛かりな捜索を開始し、776台のマイクロバスを調べた。
その中には犯人の車もあったが、見つけれなかった。
その理由として、犯人にアリバイが一切なかった点と、
マイクロバスを持っている理由が仕事でいろいろなガラクタが出るので、それを自宅に持って帰るのに必要
と主張。
警察はこれを真に受ける。
ナターシャは広さ5平方メートルの地下室に閉じ込められた。
犯人からお前はもうナターシャじゃない。俺のものだ。
と告げられ、逃げようとしたら、家のドアと窓には強力な爆薬が仕掛けてある、逃げようとしたら持っている銃で撃ち殺すなどと、脅した。
ナターシャは絶対服従を命じられ、犯人のきっちり1メートル後ろを歩くように強制もされた。
たびたび殴られることもあり、眠っているときは手錠、髪を剃られ、奴隷として家事をさせられた。
また、犯人はナターシャにこう告げる。
お前の家族は身代金の支払いを拒否しており、おまえを厄介払いできて喜んでいると。
ナターシャの望みを全て打ち砕いた。
犯人は、いつも空腹の状態にさせておき、衰弱して逃げられないようにした。
その時の体重はわずか38キロ。
ナターシャは孤独にも苦しめられ、深い孤独のあまり、誘拐犯と少しでも長く一緒にいようとした。
そのせいか、ナターシャはこう言っている。
「誘拐犯が帰ってくると、自分をちゃんとベッドに連れて行って、お休み前のお話をしてくれるように頼みました。お休みのキスまでねだりました。どうにかして自分は普通の生活をしているんだと思い込もうとしたのです」
さまざまな非道があり、2006年8月23日、ナターシャは庭で犯人の車の掃除をしていた。
午後12時53分、携帯電話が鳴ったため、犯人は掃除機の騒音から離れた場所に移動して電話を受けた。
ナターシャはチャンスだと思った。掃除機を地面に置くと、走って逃げた。
犯人はナターシャが出て行くのを見ていなかった。電話をかけてきた相手はのちに、電話を終えるとき彼は落ち着いていたと語っている。おかげでナターシャは非常に有利なスタートを切ることができた。何年ものあいだ、これほど速く脚を動かしたことはなかった。
とのちに述べている。
そして、郊外の住宅の庭を200メートル駆け抜け、フェンスを跳び越え、通行人に警察に電話するよう頼んだ。
なかなか本気にしてもらえず、脱出から5分後、ある家の前に立ち止まり、必死で窓をたたいた。
その家に住む71歳の婦人は、だらしない格好をした青白い顔の若い女がこちらをのぞき込んでいるのを見て、面食らった。
「ナターシャ・カンプシュです」と女は言った。
婦人が警察に電話をかけると、数分後には警官が到着し、ナターシャを保護した。ナターシャは体の傷痕とDNAテストによって正式に身元が確認された。のちに警察は、彼女が監禁されていた部屋で、1998年発行のパスポートを発見した。
ナターシャの健康状態は総じて良好だった。ただし、体重はたったの48キロで、身長も誘拐されたときから15センチしか伸びていなかった。
これがオーストリア少女監禁事件の全貌です。
次に放送される内容もようやくしているのでよかったらみてください。
どうでしょうか。ハラハラする展開ですよね。
ナターシャカンプシュの今現在やその後
事件後長期にわたる監禁の影響で不安定な精神を抱えていました。
しかし、努力を続け、2010年に22歳で大学を卒業。
同年に幽閉の日々を克明につづった手記『3,096 Days』を出版し、また映画化も公開され、2011年には自伝の印税と寄付金を使ってスリランカに小児病院を建設しています。
保護されたときは42キロでしたが、現在はふっくらとしており元気そうです!
現在はオーストリアのTV局のアナウンサーになっており、トーク番組の司会者をしているそうです!
社会復帰できて本当に良かったと思います。
オーストリア少女監禁事件の犯人や画像
犯人の名前はウォルフガング プリクロピル
現在は亡くなっています。
事件後にオーストリアウィーンの線路に飛び降り自殺したそうです。
これで生きているとなるとナターシャさんの精神的にも辛いですよね。
しかし、ウォルフガング プリクロピルが亡くなったとき、ナターシャさんは亡くなったことに対して涙を流したそうです。
かわいそうだと。
ここまでされて、哀れみの感情を抱くのはすごいというか、なんというか。
これを一種の症状だと見ている人もいるようで、ストックホルム症候群と呼ばれる症状。
しかし、彼女はこの症状に対し、こう述べています。
「被害者に、ストックホルム症候群という病名をつけることには反対する。これは病気ではなく、特殊な状況に陥ったときの合理的な判断に由来する状態である。自分を誘拐した犯人の主張に自分を適合させるのは、むしろ当然である。共感を示し、コミュニケーションをとって犯罪行為に正当性を見い出そうとするのは病気ではなく、生き残るための当然の戦略である。」
まとめ
今回はオーストリアウィーン少女監禁事件についてまとめてみました。
ナターシャカンプシュさんは今現在は社会復帰されて、元気にしてそうで良かったです!
今後もテレビのアナウンサーとして活躍して欲しいですね!
こんな事件起きて欲しくないですよね。